心の構造

心とは何か哲学で分からない理由

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心とは何か哲学で考えている方は、いるでしょうか?

心とは何かを哲学で考えることは、多くの哲学者が考えてきて答えは抽象的で明確になっていないと感じます。

私も中学生のときに、私は誰?という疑問で始まる「ソフィーの世界」という哲学の入門みたいな本を読みましたが、結局私は誰という明確な答えは分からなかった想い出があります。

でも、大人になって古代インド哲学ヴェーダの知識を知って、心とは何かを哲学では分かることが出来ないと感じました。

心とは何かを哲学では分からない理由とは何でしょうか。

今回は、心とは何か哲学で分からない理由の話をします。

心とは何か哲学で分からない理由

私は古代インド哲学ヴェーダの知識を知って、心とは何かを哲学で分かるはずがないと感じます。

なぜなら、哲学というものは言葉で思考をするからです。

心というのは、言葉では表現できないもので言葉よりも精妙なものです。

目でも見ることが出来ませんし、触れることも出来ません。

つまり、心というのは、五感という聴覚や視覚よりも精妙なものだからです。

言葉よりも精妙な心というものを言葉で思考する哲学では分からないことは当然のことではないでしょうか。

ヴェーダの知識では、言葉というのは、粗雑なものと表現します。

例えば、レモンとバナナの色を言葉で表現するなら黄色ですが、実際のレモンとバナナの黄色は全く違うものですよね。

目で見えるものでもざっくりとして表現する言葉ですが、心という五感よりも精妙なものを表現できるはずがないと思います。

実は、愛というのも心と同様に言葉では表現できない精妙なものですが、愛を言葉や哲学で説明しているとするなら、それは本当の愛ではないと考えた方が良いと思います。

愛とは哲学や言葉で説明するのではなくて、感じるものと伝える方が本当のことを伝えていると私は感じます。

心とは何か哲学で検討

心とは何か?言葉で思考する哲学では分からないことを伝えました。

古代インド哲学ヴェーダの知識は、言葉で伝えられている知識ですが、言葉の知識と合わせて瞑想での体験を通して心とは何かを学ぶことを伝えています。

言葉よりも精妙なものを知るには、瞑想をすることが必要になるとヴェーダの知識では考えていますが、瞑想をすることで言葉よりも精妙なものを観て感じることが出来て、心とは何か知ることが出来ます。

ヴェーダの知識では、心臓の部分にサンヤマという瞑想をすることで、心を知ることが出来ると伝えていますが、瞑想をしない限り本当の意味で心とは何かを知ることが出来ないと思います。

もし、哲学や言葉で心とは何かを伝えるなら、それは真実ではないと私は感じます。

心とは何か哲学で考えるなら

古代インド哲学のヴェーダの知識では、心について知識と体験という両輪で学ぶことを伝えています。

心とは何かを哲学だけで考えることは、知識だけで心とは何かを学ぶことになります。

もちろん、ヴェーダの知識だけでも心とは何かを分かった気になる方も多いかもしれません。

でも、本当の意味で心とは何か知るのであれば、瞑想をして心を自分で観て感じることが必要です。

哲学の知識だけで心を考えるなら、例えばハワイ旅行のパンフレットを見ただけでハワイのことを知った気分になるようなものです。

実際に自分でハワイに行ってみて感じることの方が、ハワイ旅行のパンフレット文字を読むよりも大きな価値があると思います。

心とは何かを本当の意味で知るためには、哲学的な知識だけではなくて、瞑想での心を知る体験が必須のことだとヴェーダの知識では伝えています。

瞑想というと宗教的なイメージを抱く方も多いのですが、実は心とは何かを知るために瞑想をしている方が多いと思います。

以上、心とは何か哲学で分からない理由の話でした。

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